吉田松陰高杉晋作らの活躍を描いた司馬遼太郎の世に棲む日々

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

を読んでいて、どうも気になったことがある。
「折りたたみ式三味線」というものを晋作が持って旅をするのだが、いったいどんな形で
どんな仕掛けなんだろう、、、と考えてしまう。

三千世界の烏を殺し 
 ぬしと朝寝がしてみたい

という俗曲の歌詞は、高杉晋作の作である。江戸を去ったかれは、道中、三味線をかかえていた。もっとも普通の三味線ではなく、折りたたみ式のからくりになっていて携行しているときは小さくすることができる。使うときにひきのばして、弾くのである。道中は旅籠にとまるたびに酒をのみ、酌婦をはべらせ、この三味線をひいて唄をうたった。箱根の関所を破ったあげく、毎夜泊りをかさねるごとに、酌婦をあげ、絃歌に酔い、
(まるでごろつきのようなものだ)
と、われながら自分がおかしかったが、しかしごろつきといっても、徳川三百年来、箱根の関所を破るほどの大胆なごろつきは出たことはない。

文久三年正月、江戸にいた高杉晋作は、小塚原に埋葬されている、師の吉田松陰寅次郎の墓を掘り、毛利家の別荘地のある埋葬地まで改葬しに向かった。道中、寛永寺の将軍専用の御成橋を番士の制止をものともせず通り抜けるという暴挙を悠々と犯す。あわてた藩主は晋作を長州の国許へ呼び戻す。帰路、晋作は箱根の関所まで、宿駕籠で乗り打ちをするという未曾有の大事件をおこす。
この長州への帰路の描写なのだが、破壊的な行為によって自らを「狂」の世界で演出し、革命へ突き進む高杉晋作が、折りたたみ式の三味線を持って旅するという情景は、悲壮感とは対極のイメージを見せてくれる。
底抜けにあかるいからこそ、江戸300年の体制をひっくり返すだけの重さを感じさせず、革命のヒーローとして主役を軽々と演じて見せた。折りたたみ三味線は、晋作の、その軽さの象徴にも思える小道具なのだ。