靖国参拝の裏にあるもの

繰り返し行われる小泉首相靖国参拝と報道を見ていて、やっとその裏にある本音が見えてきた気がする。

共同通信社が17、18両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、「参拝してよかった」が48・1%だったのに対し「参拝すべきではなかった」が45・8%と、参拝支持が不支持をわずかに上回った。前回9月調査では「今年は見送るべきだ」(53・0%)が「今年も参拝すべきだ」(37・7%)を上回っていたが、賛否が逆転した。


調査機関によって数値は違うものの、傾向は同じように「前回に較べて参拝支持が増加」となっている。
参拝のたびに、中国や韓国では抗議のデモや厳しいスポースクマンのコメントが発表される。人間、自分が避難されたり、いじめられたりすると、開き直ることはよくある。ましてや、度を超した暴力的行為やサイバー攻撃などを見ると、その原因がどうであれ、冷静に考える以前に感情的に反発してしまう。

小泉首相をはじめ、自民党やその賛同者の多くの方々は、当然、参拝すると近隣諸国の反応がどうなるか、外交的にどんなに難しい事態になるか十二分に知っていて、あえて、それを繰り返している。
その狙いは、参拝強行→中韓の反発→それをバネにしたナショナリズムの高揚、というところだとしか思えない。
そして、世論調査の傾向を見ると、見事にそれが実現されている、ということになる。

なぜ、わざわざ外交的に困難な状況まで作って、このような世論操作を行うのか。

それがやっとわかった。

憲法改正
憲法9条を改正し、堂々と軍隊をもって戦争をできる国にしたい。そのため国民投票で承認を得るには、ナショナリズムを呼び起こすような情勢作りが不可欠なのだ。近隣諸国と緊張すればするほど、やはり「国防軍」は必要であり、国民の生命財産を守るためには国家の安泰こそが重要である、という雰囲気を醸成する。中国・韓国の反応を見ていると多くの国民は「やはり強力なリーダーシップをもって近隣諸国と厳しく対峙できるのは小泉自民党」という気分になり、憲法も改正して当然、というところまで流れていってしまう。それが真の狙いである、と最近になって確信してしまった。

悲しいかな、日本人の多くは、戦後の驚異的復興と繁栄をささえた「我々は戦争をしない、そのかわり、必死にはたらいて豊かで幸せな暮らしを実現したい」という考えをいとも簡単に忘れ、こうした世論操作によって「いつのまにか気分が変わってしまう」のかもしれない。「国体護持」を求めた結果、国民は何百万人も死に、さらに近隣諸国の人を数え切れないぐらい殺し、国全体が廃墟になってしまった歴史から我々はなにも学んでいないのだろうか?
一人一人が目を覚ます時だと思うのだが、どうなのだろう?

私自身一人のビジネスマンとして考えると、仕事も市場もますますインターナショナルになり、個々の政治や宗教、文化の違いを超えて、人々の距離は近くなっている。生活水準も、貧富の格差はなくならないけれども、国が違うことによる差はどんどん小さくなっている。そもそも戦争などしてもらっては商品も作れず売れず、経済からみた繁栄などなくなるのだ。ブッシュを支える軍需産業やエネルギー産業に関してはよくわかるが、なぜ、この日本で戦争をしたがる人がこんなにもたくさん居て、しかも権力を持ち、さらに強力になっていくのか、とても理解できないのだ。