シーボルトの娘


ある大学教授から「大村益次郎シーボルトの娘との関係、あれは恋でしたろうね」
と言われて司馬遼太郎は、彼のことを調べ始めた、と花神の書き出しの一説で述べている。

村田蔵六大村益次郎)の生涯を描くには、シーボルトの娘イネ、との運命の糸のからまりあいが重要なプロットになった。実際、この小説の中では、イネと出会い、蘭学を教え、心のときめきを感じる場面が、コチコチの堅物で無愛想な村田蔵六の人物像に鮮やかに対比されて、小説全体の彩りを豊かなものにしている。

一方、イネを主人公に描いた吉村昭の「ふぉんしーぼるとの娘」では、二人の関係はもっと淡々と書かれており、二人の間に恋愛感情があったようには見えない。同じ歴史上の人物を小説の中に書き込むにしても、司馬流と吉村流の個性と特徴が見えて面白い。

蔵六が暴漢に襲われ、大阪の病院に入院してから最期を迎えるまでの様子を引用してみよう。
吉村作品

京都で刺客に襲われた大村益次郎村田蔵六)は、傷が悪化したため、政府高官は大阪にいるボードゥインと緒方惟準に診察を命じた。
病院で待ちかねていた三瀬周三*1は、宇和島に大村が滞在していた時、蘭学を教えてもらった恩師の大村のために出来る限りのことをしたいと思った。また伊篤*2も、周三とともに大村に師事した身であり、女医としてボードウィンら医師団の手伝いをしたいと願い、タカ*3も夫、母の師である大村の看護を願い出た。

司馬作品

蔵六の生涯をその終わりの時期に置いて豊潤なものにしたのは、イネがきたことである。
イネへは三瀬周三が知らせた。
彼女はすぐさま医院を閉じ、横浜から駕籠にのり、昼夜兼行で駈け、わずか八日という短時間で大阪についたというから、その間の体力の消耗は非常なものだったにちがいない。
イネの蔵六に対する心の傾けかたは、この一事でも尋常な者でなかったことがわかる。
彼女はその後蔵六の死まで五十余日間、寝食をわすれて看病した。

事実をしっかり書き込んでそこから人物や生き方を描き出そうとする吉村昭。一方、人の心の触れあいを歴史のなかから引き出す、人生小説としての司馬遼太郎
ただ、どう描かれたとしても、イネの人生のあざやかさと、彼女が日本の近代医学に果たした役割の大きさは変わらず光り輝いて見える。幕府圧政から攘夷へ、さらに維新の激動、蘭学から英独医学への移行など、めまぐるしい移り変わりの中で、出生の特異さ、自らの容姿の異なりを真正面から受け止め、必死で生き抜いたイネの生涯は、これからも小説やドラマや映画で繰り返し描かれるのであろう。

*1:三瀬周三:シーボルトの弟子二宮敬作の甥、宇和島で蔵六から蘭語の教習を受けた

*2:伊篤:伊予宇和島藩伊達宗城に名付けてもらったイネの新しい名前

*3:タカ:イネの娘。シーボルトの弟子石井宗謙との間に望まずできた子