自民党憲法改正草案を発表した。

予想通りではあるが、戦争をすること、国民を治安維持の名の下に縛り上げることを可能にする腹の立つ草案である。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

シンプルだが、これこそが戦後60年間、平和を保ち、近隣の諸国を侵略もせず、経済的には奇跡の繁栄を実現した源なのだ。自民党のお歴々は、そもそも太平洋戦争を侵略戦争とも間違った戦争とも思ってないようなので、こういう案を出すことも無理もないが、それを多くの国民が支持している、というのはどういうことなんだろう?
「9条1項を堅持します」というのは詭弁だが、マスコミも、そのまま報道しているので、注意してないと「ああ、自民党も戦争はしないつもりなのね、よかったわ」と賛成票を投じてしまいそうだ。第2項の再軍備をせず、交戦権を放棄する、という項目を削除するということは、まさに「戦争しまっせ」ということなのに、、、

それにしても前文の格調の無さはなんなのだろう。事務的に、国民の「国を守る義務」を強調する、まさに治安維持法的国家感が見え見え。
あらためて、現行憲法を読んでみた。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。
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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


これは、敗戦国日本の宣言というよりは、何千万人という人々が殺された世界大戦の廃墟から立ち上がった人類の平和宣言のように読める。まさに、そういう気持ちで新憲法を我々の先祖・先輩は作り、守ったのだと思う。そこには「押しつけ憲法」とか「翻訳憲法」と非難されるような違和感はなにもなく、むしろすがすがしいまでの平和へのまっすぐな決意と願いがみなぎっている。
だいたいが明治の大日本帝国憲法は欧州の憲法の切り貼りと言えるし、そもそも日本の歴史は、古くは中国、近代以降は欧米先進国からの文化文明を輸入し、それを咀嚼し、自らのものにしてきたわけで、なにもないところからふわっとわきあがったものなどないだろう。良いものはいい。しかも、これだけ崇高な理念を高らかに宣言した晴れがましい前文を誇りに思うべきではないだろうか。