司馬遼太郎の「新史太閤記」に荒々しいイメージの信長とは全く異なる記述がある。

新史 太閤記(上) (新潮文庫)

新史 太閤記(上) (新潮文庫)

信長はそのオルガンに寄りかかり、心持首をかしげ、すべての音を皮膚にまで吸わせたいという姿勢で聴き入っていた。籐吉郎のおどろいたのは、その横顔のうつくしさであった。籐吉郎は信長につかえて二十年、これほど美しい貌をみせた信長をみたことがなく、人としてこれほど美しい容貌もこの地上でみたことがない。その印象の鮮烈さはいまも十分に網膜のおくによみがえらせることができるし、時とともにいよいよあざやかな記憶になってゆくようでもあった。
(このひとは、神だ)
と、このとき、理も非もなくおもった。

秀吉の主人である、織田信長は、生まれながらの武家貴族であり、眉目秀麗。地面の土塊からはいあがってきたような秀吉とは全くことなる人種と言える。恐怖政治的な振る舞いが目立つ信長だが、停滞した旧社会を破壊する原動力としての南蛮文化への理解と導入にはことのほか熱心だったらしい。西洋オルガンをはじめて聞いて体にまでしみこませようという信長の姿は、日本が西洋文明を耳から吸収していく瞬間を象徴しているようでもある。
江戸時代300年の鎖国によって、こうした南蛮渡来文化はすたれ、西洋アレルギーが日本人に定着したように思うが、信長の時代まで立ち返ってみると、案外、日本人はたくましく外部の文化を取り入れつつも主体性を持てる「根っこ」を持っているのではないかと思ってしまう。