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徳川幕府が崩壊し、明治へと移り変わる中、日本の歴史で唯一の共和制が短期間ながらも生まれた。
- 作者: 佐々木譲
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/09/01
- メディア: 文庫
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ラ・マルセイエーズだ。
歌声は、次第に大きくなる。兵士たちの多くが唱っている。フランス人義勇兵が一部の兵にこの歌を教えていたが、でもいつのまに、これほど多くの兵士たちがこの歌を覚えたのだろう。・・・自由よ、愛する自由よ。
そなたの守り手と共に戦え。
我等の旗のもと、勝利の女神が、
雄々しき同胞のところに駆けつけるように。
・・・五稜郭に最期まで残った将兵たちは、自分が投降するこのときに、共和制の歌を唱って送ってくれている。それは共和制よさらばということか。それともここに共和制の理念は残るという意味合いなのか。・・・
武陽は、いま一度背を起こし、あごを引いた。歌声は、武陽たちの後方でいっそう大きなものになった。五稜郭全体、いや函館平野全体をもふるわせるほどの大きな歌声になって響いた。
わずか半年という短い間の共和制。身分制を廃止し、思想信条の自由を保証する。麦やイモを植え、畜産、酪農を振興し、商業や交易を発展させたい。こうした革新的で画期的な政策を実施する暇も成果を見る間もなく、防戦にあけくれ、ついに消滅してしまう蝦夷共和制。しかし、歴史の軸を伸ばしてみると、ここで構想されたことは後の北海道の発展とみごとに一致する(本当は日本の、と言いたいのだが、)。
最大の違いは市民自治による共和制というところで、これを第二次大戦後の象徴天皇制でまがりなりにも実現した、と見るのか、いまだに共和制の理念は実現してないと見るのかによって「今」の評価は変わってくるだろう。小説はもちろん歴史そのものではないので、事実がどうたったのかは知る由もないが、榎本武揚らが夢想し、つかの間ながら実現したうたたかの共和制の価値はもっと高く評価されてしかるべきではないのだろうか?