斎藤道三の大音声


坊主くずれから油屋の亭主、そしてついには美濃一国の実質的な支配者にまで上り詰めた下克上の代表格とも言える斎藤道三の生涯を描く国盗り物語(前半部分)。単に権謀術数で権力をかすめ取ったのではなく、仏僧と商人の目を通してみた戦国時代の社会、経済の矛盾や問題を自らの才覚で破壊し改革していく。各仏教系列が押さえていた商品の専売制を廃した楽市は、寺の矛盾、商売人の感覚を知る道三にしてはじめて可能な改革だった。

その道三も最期は自分の息子(実際には元主君の息子だが)に反乱を起こされ、戦場の露と消える。最期の行軍に当たっての声明(じょうみょう)は、読みながら頭の中に大音声がわき上がってくるかのような感動の場面でもある。

国盗り物語(三) (新潮文庫)

国盗り物語(三) (新潮文庫)

「やるぞ」

道三は山気(さんき)をしずしずと吸いこみ、ついには肺に星屑まで吸いこんでしまうほどに満たしおえたかとおもうと、それをふとぶとはきはじめた。
声とともにである。
咆哮のようなたくましさで、声が抑揚しはじめた。
ゆるやかに、春の波がうねるようにうねりはじめ、やがてそれが怒濤のような急調に変わり、かと思うと地にひそむ虫の音のように嫋々(じょうじょう)と細まってゆき、さらには消え絶え、ついで興り、興りつつ急に噴きのぼって夜天をおどろかせ、一転、地に落ちて律動的(リズミカル)にころげまわった。
と、暗い山路をおりてゆく二千あまりの将士は、魂を空に飛ばせて、道三の声が現出する世界に酔い痴れた。
すでに絶望的な戦場に向かう将士には未来をもたせていなかったが、しかし道三の声は、かれらに別な未来へのあこがれをあたえるかのようであった。法悦の世界である。
聴き惚れてゆくうちに、なにやら死の世界こそ甘美な彼岸であるようにおもわれ、その世界へ、いまこそ脚をあげ、戦鼓をならして歩武堂々と進軍入城してゆくように思われた。

 道三の最期の声明(じょうみょう:経文を唐代の音で諷唱する術で、遠いむかし、中央アジアの大月氏国(だいげっしこく)でおこなわれていた声楽がシナに伝わり、日本伝来後、おもに叡山の僧侶によって伝承された。・・・のちの謡曲浄瑠璃など世俗の音曲はすべてこの声明が源流になっている)

悲しくも厳かで、静かな中に朗々と響く道三の声。
国盗り物語の中で、最も印象深く、気に入っている情景である。