村田蔵六の奇相
朝、気持ちがいいので九段下あたりまで歩いてみた。
飯田橋から九段下に向かっていくと富士見を超え、靖国神社にいたる。
小泉首相の参拝に関して考えるところあって行ったわけではなく(まったくもって反対だが、ここでそれについて書くつもりはない)大村益次郎(村田蔵六)の銅像を見たくて足をのばしてみた。
司馬遼太郎 によると
蔵六は一種顔に力のこもったぶおとこで、まゆが異常にふとく、目はぎょろりとしているが、光はあまり感じさせない。同郷の長州人たちはこのいかにも珍奇な顔を見て火吹達磨のようだ、と悪口をいった。
という感じである。この表現を読んでから、どういう顔をしているのか妙に気になって、いろいろ見てみたが、やはり靖国神社参道の銅像はなかなか眉太の個性的な顔にできあがっていて想像していたのに結構近かった。
さて、蔵六の「奇相」をまんがではどう表現しているのだろう?
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花神でも、風雲児たちでもそうだが、この、見かけは、ぶおとこで、態度も無愛想を絵に描いたような蔵六が、西洋の目鼻立ちを持つシーボルトの娘、いねと互いにひかれあう。石部金吉然とした蔵六のためらいやはにかみを想像すると、冷徹で技術を信じ切っているが故に冷たく見える蔵六の、別の面が見えて思わずほほがゆるんでしまう。