ネロ、暴君か阿呆皇帝か

ネロは少年時代から詩作が好きだった。また、自分が作った詩を「チェトラ」と呼ばれる竪琴をかき鳴らしながら歌うことが大好きだった。好む理由もちゃんとあった。ギリシャ文化の粋だから、というのである。一人で弾き語りを楽しんでいればよいものを、自分では才能があると思っているものだから、他人にも聴かせたくなる。
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だが、やはり「ローマン・スピリット」の発祥の地である首都ローマでの実演には勇気がもてなかった。それでデビューの場を、ナポリの野外劇場と決めたのである。....
劇場は立錐の余地もないくらいの観衆で埋まった。「ギリシャ文化の粋」を味わいたいからではなく、「歌う皇帝」を見たかったからである。

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

これでは、まるで裸の王様である。
一方で母を殺し、多くの将校を殺し、ローマ帝国史上最悪の皇帝といわれている。そのイメージと、引用した下手な芸術家というのが一人の人物の中に同居しているというのは、たとえは悪いが、ジャイアンのび太をいじめつつ、本人は下手だけど歌が大好き、というのと共通点があるのかもしれない。
ただ、ローマ人の物語を読んでいるとネロがただの暴君でも、芸術かぶれのアホ皇帝でもないことはよくわかる。
ローマの大火(紀元64年)では26歳のネロは、被災者対策の陣頭指揮をとる。公共建築を避難民に解放し、食料を確保、至急し、小麦価格の暴騰を避けるために価格凍結し、再建のプランをすぐに作り、、、、。ところが、「火をつけたのはネロだ」という噂が広まるとキリスト教徒に罪をかぶせてしまった。これが後のキリスト教世界から、迫害者/史上最悪の皇帝と呼ばれる原因となってしまった。
16歳で未熟なまま頂点に上りつめ、自らを客観視できないままに思いつきで政治も経済も軍事も、私事まで同じように進めてしまう皇帝は、死ぬことでしか終わりを迎えることはなかったのだろう。それでも14年の在位というのは、ただの無能ではできなかったはずなのだが。