昭和5年1月、浜口雄幸首相、井上準之助蔵相によって「金解禁」が実施された。

男子の本懐

男子の本懐

昔、歴史を学んだときにそのようなことがあった、という程度にしか記憶が無いが、この小説を読んで、その意味の大きさをはじめて認識した。
第一次大戦の混乱期、金本位制を中止していた先進各国は続々と金本位に復帰したが、日本は中止したままで、その結果「通貨不安定国」として国際金融から見放され、為替も乱高下を続けるという状態を続けていた。
民政党の主要政策として掲げられた「金解禁」は、実現のためには、超緊縮財政を要求し、不況や失業の増大にも耐えなければならない。これを実行できる力を持った唯一の人物として、井上準之助は浜口から

「この仕事は命がけだ。すでに自分は一身を国に捧げる覚悟を定めた。きみも君国のため、覚悟を同じくしてくれないか。」

と誘われる。井上も「よし、この男に殉じよう」と決心し、そこから困難の極みを二人で突破していくことになる。

二人は、容貌風采はもとより、経歴も正確も対照的といっていいほどちがうが、互いにひかれるものがあった。
海外駐在をふまえての井上の情報収集力と国際的な視野での判断、それに物怖じしない行動力は、浜口には新鮮であったし、一方、井上は、それまで接した人々にはない重々しい迫力を、浜口の中に感じた。...
一方は雄弁、他方は寡黙。浜口は聞くことで、井上は聞かれることで、それぞれの自信を得た。

二人は野党、多くの国民、新聞、官僚の反対に対し、熱心に、論理的にその意味合いと利点を訴え続け、遂に金解禁を成し遂げる。しかし、次なる難問、ロンドン軍縮会議を受けた軍備削減では、なんとか国会を通したものの、軍部からの強力な突き上げ、そして、さらに枢密院の反対で、なんども挫折しそうになるが、ついに、国際協調につながる軍縮をも達成する。

しかし、金解禁と軍縮を成し遂げてまもなく、浜口は東京駅頭で暴漢に狙撃され、

「恰もステッキくらいの物体を大きな力で下腹部に押し込まれたような感じがして」

倒れてしまう。一命を取り留めたものの、浜口は弾丸を腹に入れたまま、無理をして国会に登壇する

「命にかかわるなら、約束を破っていいというのか。自分は死んでもいい。議政壇上で死ぬとしても、責任を全うしたい」....
3月9日、浜口は久しぶりに正装した姿を官邸玄関に見せた。背筋を伸ばしているが、頬はそげ落ち、顔面は蒼白で立っているのがふしぎなほどであった」

結局、体調は悪化し、民政党は急速に求心力を失い、政権は犬養を首班とする政友会に移ってしまう。新内閣は発足と同時に禁輸出を再度禁止。

浜口や井上の二年半にわたる苦労は、こうして水の泡になり、一方ドル買いたちは狂喜した。

一部の財閥が大もうけをし、円相場は暴落、輸入品の値段は高騰し、経済は果てしなきインフレへと一気に転がり落ちる。
貨幣価値の下落と物価騰貴に警鐘を鳴らす井上は精力的に講演をこなすが、彼も盟友浜口と同じく凶弾に倒れてしまう。

浜口、井上は非常に明確にわかっていたが、金本位制とは、日本の経済を立て直すと同時に、いや、それ以上に、軍の膨張に歯止めを掛け、日本が民主的な国家として国際社会に貢献し発展していくための最強のメカニズムだったのだ。
浜口・井上が凶弾に倒れて以降、軍部の暴走は、もうだれにも歯止めがかけられなくなっていく。

遠く歴史をさかのぼって考えると、第二次大戦は避けられなかった歴史的事実のようにも見えるが、浜口・井上内閣があと3年続いていたら、軍部の独断専行を押さえる枠組みを作り実行できていたら、などと、つい考えてしまう。
今、起こっている大きな流れも、歴史のどこかで振り返ると「あのとき、踏ん張っていれば、なんとかなったのに」と思うポイントなのかもしれない。
あきらめないで、地道にしぶとく、より良い道を歩むことができるように、自分の努力を放棄することだけはしてはならない、と改めて思う。